野菜の味は何で決まるのか、色々な意見があると思うが、自分もそこに一意見を加えたいと思う。当園の経営理念「食卓に 香り豊かな感動を 味わい深い歓びを」を掲げているように、作るものの味は、当園において、最も重要視されるべきものであり、日々全ての生産活動における最も根本的な拠りどころ・判断基準となるべきところである。なので、野菜の味を構成するものについて、どのように考え、どのように栽培に繋げているか、説明責任があるように思う。また、その説明の内容は、まるで思い付きのように要素を羅列するのではなく、論理的に体系的に構築された一つの価値基準の体系として、示されるべきと思う。
まず本論に入る前に、自身が味を語る資格について、少し話をしたいと思う。味を語る資格が無ければ、ここでの話は全て無意味なものとなってしまうからである。
その資格の根拠なのであるが、日々現在の仕事において、味を見極め、研鑽を積んでいるからだけではない。この仕事を始めるまでも、ずっと味に対するこだわりを持ち続けてきた。少年期から美味しいものが好きで、自分で試行錯誤をしながら、料理やお菓子作りに励んできた。特にティラミスは得意中の得意で、これまでに作った回数は軽く3桁に上っていて、自分の基準ではあるが、見つければ必ず買い求めてきた他と比べても、人生で一番美味しいティラミスが作れると思っている。また、学生時代にワインの道に足を踏み入れ、買い求めて飲んだ、Chateau Pichon Longueville Comtesse de Lalande 1989 は、今に至るまで、人生で一番美味しいワインであった。口に入れるとまるで液体を飲んでいるのではなく、香りだけを口に含んでいるようで、むしろ全身が香りに覆われているようであった。また、ビロードに触れているかのような滑らかな飲み口、芳醇で複雑に刻々と変わる香りは、圧巻であった。人生5本目に開けたワインがそうであったのだから、よりワインと食への興味が強まったのは、もちろん言う間でもない。そして社会人になってからは、それなりに食べ歩いたと思う。無茶苦茶たくさん行ったというわけではないが、それでも、いわゆる星付きのお店を含めて、色々なお店を訪れ、食の経験を積めたと思う。
そして、それらなどの経験を通して、もし味覚に、絶対音感のように、絶対感覚があるとするならば、自分は絶対味覚を持つことができたのではないかと思う。美味しいものから、そうでないものまで、その時々の状況に左右されず、1つの確かな尺度の上で、正確に味を測ることができているのではないかと思う。
前置きが長くなったが、味について語らせて頂けるとして、自分は、野菜の味を決める要因は、3つの基本要因と2つの付加要因からなると思う。3つの基本要因とは、品種、施肥、生育。2つの付加要因とは、鮮度、旬である。
そしてまた話が逸れるようであるが、それぞれについて詳しく説明する前に、なぜこのような切り分け方をしたのか、の説明が必要に思う。そうしないと、これら5つの要因が、味の決定要因として必要十分を満たしているのか否か、分からないからである。また、それらを体系的に統一させて、味との関連性の説明も必要であろう。
まず、切り分け方の説明になるが、基本要因の3つは、工業の世界で使われる「品質」の概念を、同じように農業に当てはめ、考えられる要因である。工業の世界の「品質」の概念は、モノそのものの”質”を確かに正しく捉えており、農業の世界においても、”質”の根本を捉えるのに、非常に有用である。付加要因の2つは、工業の世界の「品質」の概念を当てはめて考えられない部分、それは農業の世界が工業の世界と異なり、時間に関して品質が変動するからであるが、そこから考えられる要因である。
話を進め、工業の世界で使われる「品質」の概念から考えられる基本要因の3つについて話をしようと思うのだが、まずその前に、工業の世界で「品質」は、「設計品質」と「製造品質」に分かれるとされている。そもそも設計でどの程度の品質を達成しようとしているのかが「設計品質」であり、そしてその設計に対してどこまで製造で実現できるのかが「製造品質」である。自動車業界でたとえて言うと、設計品質は、高級車の設計か大衆車の設計か、の差によって測れる品質であり、製造品質とは、高級車の設計であっても、その設計通りにどこまで作れているか、で測れる品質のことである。そこで、農業における要因を、「設計品質」と「製造品質」それぞれに分けて考えてみたい。
「設計品質」に該当し、考えられる基本要因は、「品種」しかないだろう。生産前から野菜そのものが持ち合わせている資質はそれしかない。なお、品種とは、血筋あるいは血統として言い表されることもできるかもしれない。
「製造品質」に該当し、考えられる基本要因は、「施肥」の内容と状況、「生育」の良さ、この2つでほぼ決まっていると、これまでの経験から感じている。栽培中に品質に影響を与える、天気その他の要因も、もちろん無い訳ではないのだが、先程2つと比べると、それほどの影響があるようには思わないのである。
以上の「品種」「施肥」「生育」の3つが、工業の品質の概念を当てはめて考えられる、野菜の味の品質を決める基本要因であるように思う。そして、これらはあくまでも味という「品質」のベースで、基本であるように思う。
次に、付加要因の2つは、工業の品質の概念を当てはめられない、産業として農業が工業と異なり、時間に関して品質が変動するという部分、から説明される要因であるが、時間の関わり方は、消費者まで渡るのに時間がかかることと、一年のどのタイミングで作っているのか、という2つの時間の関わり方がある。
消費者まで渡るのに時間がかかることは、まさに「鮮度」そのものである。工業製品でも製造後の品質劣化が無い訳ではないだろうが、生鮮品である農作物はクリティカルで、工業の品質の概念だけでカバーしきれていない。そこで、設計品質と製造品質以外に、「流通品質」とでも言うべき品質の概念を、付け足して考えるのが相応しいだろう。但し、注意しなければならないのは、「鮮度」自体は、生産される品質自体を決める要因ではなく、生産終了後からの品質の劣化あるいは保持を規定しているに過ぎない、という点である。だから自分は、「鮮度」は、基本要因ではなく、付加要因であると思う。
一年のどのタイミングで作るのかは、「旬」と言う言葉で言い表されるだろう。基本要因を同じにして作っても、作る時季によって、野菜の味は大分異なる。甘さ、風味、肉質など、ときに別物と思えるほど変わってくる。これは、農業が工業に比べ、品質に影響を与える、気温を中心とした生産条件の季節変動が大きいからであり、これも工業の品質の概念ではカバーしきれていないところである。そして、「旬」についても、自分は、基本要因になるとは考えていない。詳しくは後述するが、基本要因が揃っていれば、旬に関わらず、十分に美味しく、旬については、そこからの変動であるとしか思えないからである。
また長くなったが、論理的に体系的に纏めると、以上の5つが、味を決める要因になると思う。工業の品質の概念を当てはめて導き出される3つの基本要因、「品種」「施肥」「生育」、工業の品質の概念を当てはめられないところから導き出される2つの付加要因、「鮮度」「旬」、である。
そしてここまで話をして、やっとのようであるが、ここからようやく、これら5つの要因について、具体的に詳しく話をしていきたいと思う。
1つ目の「品種」についてであるが、味のほとんどを決めているのは、品種であると思う。果物が品種で味が全然違うように、野菜においても、品種で全然味が違うものである。ここは一般にあまりよく知られていないところである。1つの野菜で、見た目の区別がつきにくくても、数十~数百の品種があり、そしてそれらにはそれぞれ特徴がある。その中で、一般に市場に流通し、スーパーの店頭に並んでいる野菜の品種は、味を特徴とするのではなく、作り易さ、収量の良さ、輸送性の良さ、棚持ちの良さ、姿形の良さ、を特徴とし、味に特徴が無いことがほぼ全てと言って間違いないだろう。味にそんなに差が無いと思われる小松菜でさえも、山ほど品種があり、一般に流通している品種は、市場性は高いものの、味が良くないものがほとんどである。だから、ほとんど笑い話にしかならないが、小松菜を作っている農家が、出荷用には作り易い品種を作って、自家消費用には、味の良い品種をわざわざ作っていたりなんかもする。この話に限らず、逆に言うと、味を特徴とする品種は、本当に美味しく、ただ、作られることは少なく、一般に流通することも少ないのである。これは残念なことであるが、社会的にはそれが正解なのだろう。
2つ目の「施肥」についてであるが、肥料の種類と量によって、味は大きく変わってくる。まず種類について、使う肥料の種類は、野菜に味濃く反映される。化学肥料を使った場合、良く言うとクセが無く、悪く言うと無味無臭の仕上がりになる。一方、有機肥料を使うと、材料それぞれ特有の味が出る。植物系の材料を使った場合、まるで樹液や白ワインを思わせる青々しい香りとやさしい甘みが乗り、動物系の材料を使った場合、味噌や醤油のような出汁を思わせる旨味とコクのある甘味が乗る。また有機肥料は、作物によって、味がとても良くなる相性の良い肥料があり、それは昔からの言い伝えの通りであったりする。味の好みは人それぞれと思うが、自分は、有機肥料を使って作られた野菜の方が断然美味しいと思う。あと、肥料の量についてであるが、多過ぎても少な過ぎても味が悪くなり、適正でないと良い味にならない。多いとエグミ、アクが出易く、よく知られるところでは、肥料を吸い過ぎたほうれん草がそうである。一方、こちらはほとんど知られていないが、肥料が足らないと、味と香りに欠け、特有の渋のようなエグミを感じさせる。このようなエグミを感じる野菜は、自然栽培の野菜に散見される。また、肥料が足らないという点で話をすると、肥料が切れてくると、味が薄くなる。これは自身の栽培においても、夏のトマトやきゅうりなどでは、収穫の最後に肥料を使い切る様にしているので、収穫の最後で出したものは、お客様から甘くなくなったね、とご意見を頂くことも実際にある。そのご意見は有難く頂戴するのであるが、それほどまでに、肥料が適正量効いていることは大事である。肥料の適正量については、以前、「奇跡のリンゴを食べてみた」というブログ記事に詳しく記載したことがあるので、そちらもご参照頂きたい。
3つ目の「生育」についてであるが、理想の生育をした野菜は、やはり味がしっかりとして、瑞々しく、硬くなく、逆に生育の悪いものは、味が薄く、水分に欠け、硬い。生育の悪化は、病気や虫、風や雨などでの傷み、追肥や管理の遅れなど、実に様々な理由で起きる。あと、前項の「施肥」と若干重なるところがあり、施肥量が崩れると、あっという間に生育が乱れ、病気や虫を呼び込み、さらに生育が悪化するという悪循環に落ち込む。やはり、美味しくできるものは、作物全体が見た目にも生き生きとして伸びが良く、丈夫でしっかりと大きく育っている。美味しさは溜め込んだ養分であるのだから、養分をしっかりと作れるような樹や葉を持ち、十分に栄養を作っている、生育が良い、というのは、味の良さには重要なところであろう。
4つ目の「鮮度」についてであるが、野菜の種類にもよるが、鮮度で決定的に味が違う野菜が多い。最も味の劣化が早いところでは、とうもろこし、エンドウ・枝豆などの未熟豆は、収穫してから半日が勝負で、なす・きゅうりなどの果菜類、菜花・ブロッコリー・アスパラガスなどの芽物は、収穫してから一日が勝負である。逆に鮮度があまり重要でない野菜、むしろ時間をおいて追熟させた方が良い野菜などもあるのだが、全体的には鮮度が良い方が良いものが多く、だから朝採りであることが重要な場合が多い。また、新鮮なものほど、水分が多く、瑞々しい食感になるので、美味しく感じられる。鮮度についても、以前、「アロマフルな話 ー 鮮度が重要な野菜、重要でない野菜」というブログ記事に纏めたことがあるので、より詳しくはそちらをご参照頂きたい。
5つ目の「旬」についてであるが、一年の「旬」のピークにある野菜は、特別に美味しいと思う。夏野菜の夏の時季のもの、トマトやきゅうりなどは、甘味も風味もいっぱいだし、冬野菜の冬の時季のもの、大根や人参や法蓮草にしても、甘味が全然違う。しかしながら、先程少し触れたように、基本要因の3つ「品種」「施肥」「生育」を満たした野菜は、旬を外していても、とても美味しいのである。確かに、甘味はそれほどでないかもしれない、風味も落ちるかもしれない。大根なんかは、夏近くなってくると、甘味などほとんど無く、激辛になる。それでも、美味しいものは淡泊なりに、あるいはその辛味の中に、味に美しさがある。味は、甘味や風味だけで、単純に評価できないものであると思う。それ以上の真理や美が存在するものと思う。だから、おそらく世間の大方の評価と違って、「旬」は野菜の味を決める付加的な要因であると思う。
以上、野菜の味を決める5つの要因についての考えになる。そして最後に、各要因が味を決める割合なのだが、6割が「品種」、2割が「施肥」、残り2割が「生育」と考えている。そこに「鮮度」による生産後の品質劣化があり、「旬」による変動がある。これが10数年これまで味にこだわり農業をやってきて得た、そしてその期間の大方変わっていない考えである。これからも、味を何よりも大事に、作物を育てていこう。同時に、味に対する考え方自体を鍛え上げて行こう。そしてまた、美と真理を追い求めて行こう。