経営での評価一辺倒に異議あり

昨今の社会情勢を見ると、資本主義の行き過ぎが見直され、自社の利益よりも社会全体の持続性への貢献が重視されるようになってきているようであるが、どうやら日本の農業界においてはその逆で、経営の評価が、狭義の経営(規模、売上、利益)において、重視される風潮が広がってきているように思う。
これは、良い悪いの問題ではなく、社会的な文脈上そうなるのだろうと思う。現在、日本の農業界は、担い手の減少に伴う経営規模拡大や収益向上が求められている局面にあり、狭義の経営が重視されるのは、当然の帰結であると思う。しかし、どうもその風潮に強い違和感を感じずにはいられないのである。

確かに、営む農業が経営として成立していることは重要である。いや、必須条件である。それ無くして、持続性のある農業など存在しない。自分もそれを重視している。過去数回に渡って、その様な内容で、ブログ記事も書いてきた。規模や売上や利益が大きいことが望ましいことに間違いはない。そして、農業の世界で、そのようなビジネス上の成功は稀少であり、称えられ、持ち上げられてもいいと思う。更に言うと、それらは社会の必要を満たした結果であるだろうから、その意味でも望ましいと思う。
余談であるが、宅配型経営の評価には十分な注意が必要である。それは、たとえば2000円の生産物を1000円の送料を乗せて、3000円で売って、総額を売上としているケースが多いとみられるからである。また、ネット販売の場合、更に売上の3~5%の決裁手数料がかかる。なので、純農業生産高は売上の2/3程度で、逆に言うと、5割ほど売上をかさ増ししている可能性が高い。

さて本題に戻り、しかしながら、必要以上に、狭義の経営(規模、売上、利益)で成功を持ち上げることは正しいことなのであろうか?これには、痛烈な反論がある。規模や売上や利益を捉えて成功を称えるならば、それは、成金が自身の成功を自慢しているのと、本質的には何も変わらない、ということだ。何の意味もないことだ。
農業の世界であっても、ビジネス的に成功したということは、時流に乗って商売が上手く行った、というだけのことで、それ以上の何にでもない。顧客や社会のニーズを満たし、その対価を受け取った結果であるのが事実であっても、本当にこの世の多くの人を幸せにできた訳ではないのではないか。この社会に本当に貢献できた訳ではないのではないか。
最大多数の最大幸福という言葉がある。そして、この概念は、時間軸も取り入れると、非常に複雑なものになるが、その視点で考えると、少なくとも、一時の流行りやブームにしかならなかったものが、最大多数の最大幸福を実現したとは、言えないのではないか。ひと時の上手く行った経営が、長年に渡り、人や社会に幸福をもたらすとは、言えないのではないか。

だから自分は、経営での成功は、必要条件ではあっても、真の意味での成功ではないと思う。時代の波に洗われて消えてなくなるものは、真の成功ではないと思う。本当に重要なことは、時代の波に打たれても、なお残り続け、そして人類社会に貢献し続ける仕事の成果であると思う。自分は農業の世界でそのような仕事をして行きたいと思う。やりたいことは沢山ある。出来ることも沢山ある。人類社会に400年残り、貢献し続ける仕事をしよう。