植物工場の”不都合な真実”

近い将来起こりうる食糧危機の救世主かのようにも語られる植物工場。
自分も、学生時代は、植物工場しかその手段がないように、また、日本の農業はその道に進むべきと思ったことがあった。しかしながら、今は全くそう思わない。植物工場などナンセンスだ。それは農業の実際を知り、植物工場をいくつか見てきた中で、そう判断できたからだ。

どうもこれは日本の悪しき風潮なのではないかと思うが、目新しい技術が出てくると、世の中が勝手にその方向に向かって、”良くなる”と思い込んでしまうようだ。マスコミ等メディアでも、良いイメージばかりが伝えられるが、実際そんなに上手くいっていない。現に、日本施設園芸協会によると、2017年時点で、黒字の植物工場(人工光型)は、たった2割しかない。つまりほとんどの植物工場は経営として上手くいってないわけだ。

でもそれは当然だと思う。それだけ植物工場の運営にはマイナスポイントが多いからだ。関係者・マスコミは何故そのような話を正しく語らないのだろう。その普通語りたがられない”不都合な真実”を、ここでは明らかにしていきたいと思う。

なお、植物工場の言葉の定義も厄介で、慣行のビニールハウス栽培から、いわゆる完全な植物工場型まで、連続的に様々なタイプの施設栽培があり、どこからが植物工場と言い切るのはなかなか難しい。しかし、ここで植物工場とは、いわゆる一般的に一番イメージされ易い、閉鎖空間で人工光を用いた栽培をする施設を指すことにする。

さて、そのマイナスポイントだが、3点ほどあげたいと思う。

1点目は、品質の問題である。これは閉鎖空間で人工光を用いるから当然なのであるが、作物は軟弱にしか育たない。また、多くの場合、水耕栽培だ。すると、どうなるかと言うと、関係者が口を揃えて言うのは、3日で”溶ける”というのである。”溶ける”というのは、農家がよく使う言葉なのだが、腐るのではなく、作物の組織自体が崩れていくのである。3日で崩れるようでは、はっきり言って商品にならない。完全に隔離された環境で栽培されて無農薬だとか、洗わずに食べれるなどといくら言っても、すぐ”溶ける”のはいかがなものか。なお、露地で野菜を作っていても、大雨が続くと野菜が部分的に溶けることがある。農家の立場からすれば、植物工場の野菜がすぐ”溶ける”くらい、容易に想像がつくことなのだ。

品質では、味の点でも疑問である。植物工場の野菜が美味しいとまことしやかに語られることもあるようだが、普通の農業であっても、ハウス物の方が露地物より味・風味が落ち(あくまで一般論であり、時季、栽培方法等多くの影響で変わる)、水耕栽培が土耕栽培より味が落ちるのは(これも一般論)、言うまでもないことだ。ましてや、完全閉鎖で、雨風その他の攪乱が無く、水耕で、太陽光よりずっと弱い光で軟弱に育った野菜の味はどうなのであろうか。きっと、美味しいという意見がでるのは、水分量が高いことと、採りたてを食べているから出てくる意見なのだろう。

2点目は、コストの問題である。植物工場では、光の照射に大量の電気を必要とする。また、閉鎖型であるが故に空調(冷房)にも電気が必要である。光を作るために費やす電力は最終的には熱エネルギーになってしまうのだから、特に夏場は高温になる。一方で熱を起こし、一方で冷やすとは何とも無駄なことだ。また、水耕栽培では水を大量に使用する。その水は、栽培そのものよりも、設備の洗浄にそのほとんどを使用しているようだ。養分の含まれている水を流しているのだから、魚を飼う水槽のように、大量の藻が発生するのである。よく写真で見る食品工場のようなきれいな植物工場を保とうとしたら、その洗浄は大変なことだろう。

3点目は、栽培品目が限られること。水耕の植物工場の場合、根菜は不可能だ。また、収穫まで時間がかかり、スペースも取る穀物、果菜類も現実的でない。そうすると、成長が早く、すぐに収穫できる葉菜しかないということになる。その中でも、価格に見合うようにするとしたら、非結球レタスかベビーリーフ位しかない。実際、植物工場の事業者の栽培品目はこれらに集中している。これだけの種類しか作ることができない植物工場に、社会的にどれほどの意味があるのか。

植物工場の、一般には語られることのない、マイナスポイントについて纏めてみた。これだけ”不都合な真実”が積み重なっているのだから、植物工場の運営が上手くいかないのも十分納得がいく。さらには、普通の農家が作物の販売に苦労し、収益の悪さに喘いでいる環境下で、生産物を販売しなければいけない。まるで良いことがないようにしか見えない。関係者やマスコミ等メディアには、事実を正しく伝えてほしいと思う。その上で、有用性について議論や検討がされれば良い。行政も支援や規制緩和には、冷静になるべきだと思う。

否定的なことしか言わなかったが、今後、技術革新が続けば、植物工場が世に拡がる日が来るかもしれない。また、人類が宇宙に進出するときには、必要な技術になるだろう。ただ、それまでは、非常に限定的な応用になるはずだ。