数日前、美しい空だと思い、写真を撮った。
こんなことを思えるのも、屋外で仕事をしている農業の特権の1つなのかもしれない。
但し、いつも空を愛でているわけではない。大体、そんな空を見上げているほど気持ちに余裕のあることなどほとんどないのだ。それに空はよく見上げるのではあるが、それは大概、雨が降り出しそうなときのことであって、雨に怯えながら、天気とにらめっこをしていると言ったほうが正しい。そうでない時は、逆にいつも地面とにらめっこをしていて、黙々と作業をしている。実際、80になるまで飛行機など見たこともないと言う農家のお婆さんも実際にいたりするのだ。空とは縁があるが、美しい空とはあまり縁が無い。
美しい空と縁がなかったのは、別に今始まったことではなく、サラリーマン時代からのことでもある。朝、満員電車に揺られて会社へ行き、そして、夜遅くに帰る。大体、空など視界に入ってこない生活だ。美しい空など望むべくもない。最終出勤日近く、定時に上がり帰路についたら、電車が川を渡るとき、美しい夕日の空が広がっているのを見て、ああ世の中はこんなにも美しかったのかと、思わず涙が流れた。今思えば、あれが農業と美しい空の関係の第一歩であったのかもしれない。
農業を行うようになって、空について一般の人と違う感性を持つようになったことがもう1つあって、それは雨の降り出しが分かるということである。これは別に第六感のようなものが働くと言っているのではなく、単純に見て分かるのだ。畑では見晴らしが利くので、遠くの方で雨が降っているのが見てすぐ分かる。雨が降っているところでは、雲が地面にくっついているようになっている。そして、雲の移動の仕方でその雨がこっちに来るか来ないのかが分かるのである。これは、アメリカのだだっ広い平野部を車で旅しているときに気付いたことでもある。今、同じ体験をしている。都会の”森”暮らしでは分からないことだろう。
あと、雨が降り出す前には、すうっとひんやり冷たい風が一瞬強く吹き、草木をなびき揺らす。近くで雨が降り出していることによるダウンバーストの一種なのだろう。
空に対する感性は農業を始めて大分変わったが、時には美しい空を愛でよう。
これも自然相手に仕事をしているご褒美なのだから。