農業とマーケティングの関係

丁度、日経の「私の履歴書」欄でマーケティングの大家、フィリップ・コトラーが連載を書いているので、マーケティングについて書こう。題して、農業とマーケティングの関係。

さて、いきなり農業分野でのマーケティングの話をする前に、まずは日本社会全体でのマーケティングについて話をしたいと思う。話の導入に必要である。
結論から言うと、日本社会全体でマーケティングが軽んじられ過ぎているのではないかと思う。或いは、無理解も甚だしい。自分が前にいた会社、取引先、友人・知人の勤めている会社の話を聞いても、まともにマーケティングが実行されている会社はほとんど無かった。むしろ、マーケティングという言葉に拒否反応が出てくるのが普通であった。どうやら、マーケティングと言うと、安いものを高く売りつけるテクニックを学ぶ学問であるという、とんでもない誤解をもって解釈されているようだ。或いは、営業の立場からすると、現場はそんな理屈では動いていない、頭でっかちが振りかざす理論だと思われているようだ。

確かに、上記指摘はマーケティングの一側面ではあるだろう。そのように解釈ができることもあるかもしれない。或いは、そのように過度な宣伝広告が行われているところがあるのかもしれない。しかしながら、それらはとんでもない誤解だ。フィリップ・コトラーの「マーケティング原理 第9版」によれば、マーケティングの本質とは「顧客の価値と満足を理解し、創造し、伝え、提供すること」である。あくまで、お客様のために何をすべきなのか、そのために組織をどう運営するのか、がポイントである。だから自分は、マーケティングとは、単なる学問を超えて、世のため人のために自分は何を為すべきか、自らがどうあるべきなのかを教えてくれる人生哲学だと思っている。(だからこそ面白いと思うのである。)

まあ、人生哲学までとは言わなくても、マーケティングは大学の経済学部の授業で普通に学べることだ。にもかかわらず、現在の日本社会でマーケティングが受け入れられていないということは、たかが大学レベルの知識・教養が日本の社会で活かされていないということだ。これは驚くべきことではあるが、日本のサラリーマンの不勉強さ、論理力の欠如、年功に端を発した経験主義の下では致し方ないことなのであろう。日本の会社は技術はあるのに、売れる製品は出ないとはよく言われることであるが、当然の結果である。海外ではMBAでマーケティングを学んだ人がマーケティングマネジメントをしているのに、日本では、経験を積んだだけの現場の管理職がその場凌ぎの手を打っているのだから。学問的に正しいことをすれば必ずしも実社会で成功するわけではないが、少なくとも、学問的に正しいことをせずして実社会で成功はしないと思う。

さて、ここまで日本社会全体をマーケティングの観点から俯瞰してみた上で、農業におけるマーケティングの状況はどうなのか。

言うまでもなく、農業でもマーケティングは活かされていない。むしろ、最も縁遠い業界の1つであろう。マーケティング以前に、「お客様の為」なんて発想がそもそも存在しない。なんと古めかしい業界なのだろう。
しかしながら、直売所が繁盛している昨今、農家も消費者との距離が近くなったせいか、マーケティングという言葉がまるで神通力を持った言葉のように扱われていることが時々ある。マーケティングの話を聞きにいったことが何度かあるが、マーケティングなどとはとても言えない、とんでもない話であった。マーケティングに限った話ではないが、そのように訳の分からないコンサルタントが跋扈しているのもこの業界の特徴である。他所ではやっていけないだろうと思えるクオリティである。

「農業とマーケティングの関係」と題しておいて、ほとんど語ることがないのではあるが、自分は、マーケティングの原理原則・理念に則って農業をやって行きたいと思っている。何も特別なことではない。当たり前のことを当たり前のようにすべきだけである。普通は、それが一番難しいことではあるのだけれども。