野菜嫌いについて考える

誰でも嫌いな野菜の1つや2つはあるものだと思う。
好き嫌いはすべきでないのだが、野菜とはそういうものだと思う。

自分も実はなすが嫌いである(あった)。そう言うと驚かれるのではあるが、あの歯ごたえ、ねちょっとした感じ、ピリピリと舌に刺すような酸味、香り、とにかく全てが嫌いである。そこが美味しいのに!と言われたりもするのだが、生理的に受け付けないとはきっとこういう事なのだろうとさえ思う。夏野菜の定番のなすが食べれないなんて、不運なことだと思う。

話はいきなりやや逸れるようであるが、農家は自分の嫌いな野菜は作ろうと思わない、あるいは真剣に作ろうと思わない、という話しを初めて聞いたときには、思わず笑ってしまったが、自分の場合、なすが嫌いだとは言っても、なすはさすがにド定番で、外すわけにはいかない。その意味でも不運である。

しかし、今ではがんばって作っている。そして、ちゃんと真剣に取り組んでいる。なぜかと言うと、それなりになす嫌いを克服することができたことが少なからず影響しているのではないかと思っている。
どのようになす嫌いを直すことができたのかと言うと、単に、自分が研修時代を含め、畑で採ったばかりの新鮮ななすが手に入るようになったからだ。新鮮ななすの味は、それまで自分の記憶にあったなすの味とは全く違った。アクやエグ味がなく実に甘い。なすが美味しいと感じられるようになった。今では、敢えて食べようとは思わないが、食べれないわけではない。むしろ、畑では収穫時に味をチェックする意味で、いつも齧っている。なかなか甘くて美味しいものだ。

さて、ここに至って本題に入るのだが、野菜嫌いは、往々にして、小さい頃に不幸にも美味しくない野菜に出会ってしまったがために起きてしまう事故なのではないかと思うようになった。実際、自分の野菜なら食べれるという話も時々聞く。美味しくない野菜には大きく2つの要因があると思っている。

まず1つ目は、古い野菜であること。新鮮な野菜と古い野菜では味に雲泥の差があるものだ。もしかしたら、古くて”おかしな”ものを小さい子は本能的に排除しようとしているだけなのかもしれない。最近、スーパーの野菜売り場に行かなくなってしまったが(良くないことであるが)、久々に行って並んでいたなすを見て、吃驚してしまった。なすは艶やかで張りのあるものだといつのまにか思いこんでしまっていたが、そこに並んでいたのは、萎びて艶も張りもとうに失っていたなすであった。あのようなものを食べさせられては、それはなす嫌いになるだろう。

もう1つは、作られ方が良くなかったこと。生育が良くなかった野菜は明らかに味が落ちる。生育不良の一番よくある原因は、肥料の過不足である。例えば肥料をやり過ぎると、エグくなる。ほうれん草など良い例だ。もともとアクの強い野菜ではあるが、肥料のやり過ぎで、身体に有害なシュウ酸や硝酸が増えるのは、有名な事実だ。また、逆に肥料のやらなさ過ぎも良くなく、生育のこじれてしまった野菜はとんでもなく酷い味がする。自分が実際食べた今までに一番不味かった野菜の1位と2位は、駆け出しの農家によって肥料をほぼ全く与えずに育てられた野菜たちで、口に入れた瞬間に吐き出してしまい、とても食べられたものではなかった。吸う養分に過剰でも不足でも生じると、野菜は美味しくなくなってしまうものである。肥料のやり方も含めた育て方も、野菜を美味しくするには大変重要である。

適切に育てられ、新鮮な美味しい野菜が食卓に常に並ぶようになれば、野菜嫌いも減るのではないかと思う。そうあって欲しいと淡い希望を抱いている。