農家に嫌われる農家になるべからず

農家であるからには、農業を行うのであれば、農家に嫌われる農家であってはならない、と強く思う。
逆に言うと、農家に嫌われる農家は、農家として二流であると思う。たとえどんなに経営的に成功していても、どんなに高名になっていたとしても。更に言うと、地域の農家から嫌われる農家は、三流でさえあると思う。たとえ地域で、あるいは日本で一番の農家であったとしても。
そこで今回は、農家が農家に嫌われるのはどのような場合か、そしてなぜ嫌われるのか、その考察を深めていきたいと思う。

まず、農家が農家に嫌われるパターンについて、大きく3つの場合があると思う。

1つ目は、身勝手な場合。これは、自分勝手な理由で人に迷惑をかけている場合とも言い換えられる。この場合は更に、農業の仕事において身勝手な場合と、農業の仕事に関連するところで身勝手な場合に分けられる。
前者の農業の仕事で身勝手な理由で迷惑をかけている場合は、たとえば、自分の田畑の管理が悪く、草や虫を出して、それが近隣の田畑に移り、被害を与えてしまった、自身が使っている資材や収穫後の残渣が、飛ぶのが分かってて人の田畑に飛ばしてしまった、畑の管理が悪く、大雨で自分の畑から水と泥が隣接する人の畑に流れ、その畑や作物を駄目にしてしまった、強い風が吹いているにもかかわらず、農薬や除草剤の散布を強行し、隣の畑の作物にかかってしまったなど、枚挙にいとまがない。これらの迷惑の掛け方は、農業をしている限り、ある程度は”お互い様”の部分があるので、そういうものであると、普通の農家なら分かっているし、そういう付き合い方をしているので、多少そのようなことがあっても直ぐに駄目ということにならないのではあるが、あまりに勝手が過ぎたり、あるいは、反省が見えなかったり、人に謝らないとなると問題となる。
後者の農業の仕事に関連するところで身勝手な理由で迷惑をかける場合は、たとえば、農業上あるいは農業と密接に関わる地域での役割分担を適切に引き受けない、人から貰い物や借り物、頼み事はたくさんするのに、自分からはあげない貸さない、依頼は受けない、もっと言うとケチ臭い、御礼や挨拶の品を欠かすなど、様々なことがある。
いずれにしても、農業の仕事や関連するところで、大なり小なり人に迷惑をかけることは少なからずあるのだが、ただその迷惑のかけ方が、身勝手であるようだと、嫌われるのである。

2つ目は、きちんと人に話を通さない場合。関係する人に事前に話を通していなかったり、少なからず地域に関わることについて地域の人に話をしていなかったりするのは、非常に好まれない。後から聞いた、第三者を通して聞いた、などと言うのは、とにかく印象が悪い。それが更に、人の顔を潰すことに繋がっている場合は、全く異論の余地が無い程に嫌われる。事前の根回し、下ネゴなど、当然過ぎる程に当然で、正直、サラリーマンの会社生活においてより、農家社会ではずっと重要で、ずっときめ細やかな対応を求められる。

3つ目は、自身を尊大に思っている発言をする場合。自分はすごいんだ、自分は一番なんだ、というニュアンスの話は、少しだけでも、あっという間に嫌われる。自慢話が農家社会で全く無い訳ではないのだが、オレがオレがというニュアンスであったり、自分はこんなにすごい、一番だ、のような表現は、たとえその内容が事実であっても、非常に嫌われる。再度サラリーマン社会との比較になってしまうが、サラリーマン含む一般社会より、この部分の許容度は低く、拒否感が強いように感じる。

以上、3つの農家が農家に嫌われれるパターンについてあげてみた。いずれにも共通するのは、今の日本社会一般の平均的な受け止め方とは少し異なり、より繊細な受け止め方をされているのではないかと思う。そしてそうなる尤もな理由として、農業の産業上の特性と農家社会の特性があると思う。

まず、農業の産業上の特性の理由から言うと、農業の仕事は、それぞれの土地でしていることがお互いに少なからず影響し合ってしまう、経済学用語を用いると、外部効果の高い仕事である、という産業特性がある。そこで、農家はお互い迷惑をかけないように、気を遣い合いながら仕事をしている。そのようにしないと、お互い仕事をし難くなるのだから、気を遣い合うのは当然である。なので、気を遣わない人に対して評価が下がるのは、ごく自然な帰結であろう。

次に、農家社会の特性の理由を言うと、前記農業の産業上の特性と多少被るのではあるが、どんなことがあっても、土地に縛られて仕事をし、生活をしている限り、近隣の人と縁を切ることが絶対にできない、袂を分かつことができない、いつまでも付き合いを続けて行かなければならない、という特性がある。なので、人間関係は円滑に進める、荒波は立てない、のが生存戦略として正解であり、それが日本古来の和を重んじる美徳であるのだと思う。逆にその中で、助け合い、支え合っているのが、農家社会のあり方である。

ここまで書いて、更に気付いたのであるが、そのような農業の産業上の特性と農家社会の特性も、さらにそうなる理由があり、それは、日本の農業の地理的、歴史的な”狭く入り組んだ農地”という生産基盤によって生まれたこともあるように思う。狭く入り組んだ農地であったが故に、外部効果の高い産業特性を持つようになってしまった、狭く入り組んだ農地であったが故に、濃い人間関係を求められる農家社会の特性が生まれてしまった。逆に、アメリカのように広大な農地の生産条件であれば、高い外部効果が生まれる産業特性にはならなかっただろうし、濃い人間関係を求められる農家社会の特性にはならなかったかもしれない。これも、国土が急峻という地理的条件で、人の手で少しずつ開墾を進めてきたという歴史的背景が無ければ、生まれなかった特性かもしれない。

少し話を戻して、そのような産業特性と社会特性を持った農家社会において、どのようにすれば嫌われないようになれるかを考えてみる。簡単に言えば、最初にあげた3つの嫌われるパターンの反対のことをすれば良いだけのことであるが、1.身勝手な振る舞いをせず、常に周りの人々への配慮を欠かさないこと、2.常に話は先に通すなど、人間関係対処能力、調整力を強く発揮し、実行すること、3.自分が何かをすることができても、それは周りの人々の理解と支援があって初めて出来ることであって、感謝を常に忘れずに、謙虚でいること。

出る杭が打たれるのではない、出るのに相応しい人間性や人間力に欠けるから打たれるのである。だから、農家から嫌われる農家は、そもそもこの仕事や仕事環境の理解に欠けているだけのことであり、二流であると思う。そして、自身の属する地域という身近で、自身の利益にも直結する範囲で嫌われてしまうとしたら、それは三流であると言わざるを得ない。

最後に、自身を省みて、いち農家として、正しく農業や農家社会のことを理解し、周りの方々への配慮や感謝を常に忘れず、円滑な人間関係の為に調整力を発揮していきたいと思う。改めて、今の自分自身があることは、自分の力によるものではなく、周りの多くの人に支えられてはじめて、今の自分があることを忘れてはならない。
農業に関連する、良い諺がある。

「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」