農業の高齢化は問題なのか

「日本の農業を想う」三回目の今日は、農業の危機が叫ばれるとき大きな理由の1つ、農業の高齢化について考えを纏めてみたいと思う。
この問題は、マスコミ等でもよく取り上げられるが、完全にイメージのみが先行している問題である。

一般には、農業をしている人の6割が65歳以上と言われる。それだけを聞いてみると、確かにご高齢の方ばかりで農業をされてるように思えるのだが、元のデータを当たってみると、一見、より深刻そうに映ったりもする。
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上記は、主に農業を仕事としている人の年齢別人口分布図であるが、2010年の状態を見ると、中央値は70~74歳である。次いで、75~79歳が多い。実は、漠然と想像するよりかなりご高齢の方が農業を営まれているのである。確かに、畑で色々話を聞くところでは、誰それが病院に行ったとか、亡くなったとかそのような話は少なくない。

思えば、農業の高齢化は、自分が小さい頃から問題と言われ続けてきた。その時から、何も変わってないから、現在の様になってしまっているのだ。ただ時間が過ぎ、農家の高齢化が進んだだけなのである。逆に言うと、高齢になられても想像以上に頑張ってやられてきているのが農業なのである。しかし、次の10年は無いであろう。

とすると、まるで日本で農業をやる人がいなくなってしまいそうな思いに、取りつかれてしまいそうになるのであるのだが、ここがポイントで、これは単純に論理の飛躍である。なぜなら、そもそも日本には農家の数が多すぎるという前提が、一般にほぼ触れられることがなく、考えに入っていないからである。「日本は世界5位の農業大国」によると、”農家が人口に占める割合”は、日本が1.6%、イギリス0.8%、米国0.9%、ドイツ1.0%と日本は農家の数が多いようである。そうでなくても、零細多数が日本の農業の良く言われる特徴である。とすれば、農業の高齢化と結果としての農業就業人口の減少は、弱い経営体が退出するという、市場原理に基づいた構造調整働いているだけではないだろうか。高齢化の先に、少数の力強い農業の経営体が、日本の農業を支える姿を描くことができるのであれば、農業の高齢化とは問題にならないのではなかろうか。

別の視点からも論じてみよう。農業の高齢化とは後継ぎがいないということと表裏一体である。ではなぜ後継ぎがいないのか。単に稼げない、暮らしていけないからである。この連載の初回でも触れたが、高齢化が問題である前に、農業で稼げないことが問題なのだ。稼げない経営体が市場から退出していく、あるいはその過程にあるのは、ごく自然なことなのだ。

農業の高齢化は、否応なく日本の農業の姿を変えるだろう。しかしながら、これは日本の農業が通るべき道である。だから、これは問題なのではなく、未来へ向けた一過程として捉えられれば良いと思う。