休日の必要性

農業の世界でも、世間一般の働き方改革の流れに合わせて、休日を取れるように働こう、という流れになっているようだ。いやむしろ、農業でも休みが取れる経営が良い経営で、取れない経営が悪い経営だ、というくらいの論調さえある。しかしながら、自分はそこに強い違和感を抱かざるを得ないのである。それは本当に”正しい”価値基準に基づく判断なのだろうか?ある特定の価値基準の押し付けではないだろうか?

具体的な議論に入る前に、農業の休みの取り方の現状を再確認してみる。確かに、農業を仕事としていると、休みを取れることは少ない。ピーク作業時には、休み無しに連日やることに追われて働かなければいけないし、作物は人間の都合に合わせて生育を止めてくれないので、収穫の仕事など始まったら待った無しの状況になる。特に、一日でその姿形を大きく変えてしまう、きゅうりやなすなどの生り物を作っていると、毎日採り続けなければならないので、その長い収穫期間中は、一日も休むことなどできない。これが更に、自分の様に多品目経営をしていると、大体常に手元に何かしらの苗があり、毎日その水やりが欠かせず、それだけでもその日の仕事がある、とカウントできるなら、それこそ年中無休とまではいかなくても、年間360日くらいの労働日数となる。農業のスタイルによって農繁期や農閑期の差があるけれども、農業を本業で生業としている人には、なかなか休みが取れないのが実情ではないだろうか。

しかしながら、休みが取れないという事実と、休みが取れないのが悪いということは、イコールで繋がらないと自分は考える。その理由は、一般的な農業者の価値観によるところと、自分個人の価値観によるところがある。

まず、一般的な農業者の価値観による理由であるが、自然相手に仕事をしている農業者として、自然と湧き上がってくる思いがある。それは、先程も触れたように、日々成長を続ける作物を前にして、作物の都合に合わせて仕事をするものであり、また、自分が日々、生き残りの闘いを繰り広げている草や虫、或いは、天候が、自分を待ってくれる訳ではないので、自分の仕事は自然の成り行きに応じてしなければいけない、という思いがある。農業の仕事は、自分を取り囲む、全ての自然の事象が回る中で、自分がその片隅で仕事をしているだけに過ぎず、全ての自然が常に動き続けているように、自分も動き続けなければいけない。だから、そこに休むとか休みが必要という概念は、そもそも生まれないし、存在もしないのである。人間の思考の勝手な産物である、”休み”など、自然界にはそもそも当てはまらない。そして同様に、農業の仕事にも当てはまらない。自分はただ、虫や草の様に、ただ動き続けるだけのことなのである。そして、これが自然の中で、自然と共に生きる、生命本来の姿なのである。これが農業を営み、農業で暮らすものの、ごく自然な思い、価値観なのではないだろうか。だから余談ではあるが、この感覚を持つに至らない、この仕事で暮らしを立てたことがない人に、休みを取りましょうなどと言われると、ただ心外に思うしかないのである。農業者は全く別の世界で暮らしている。

次に、自分個人の価値観による理由であるが、仕事とはそもそも、休みの必要な苦しいことでなければならないのだろうか?確かに苦しいところが無い訳では無いが、この考え方は、近代以降の経済学が前提とする、労働は対価を得る為の苦役であり、人はなるべくそれを少なくしようとするのが合理的な行動である、という考えに、世の中毒され過ぎていないだろうか?自分は、資本主義を信奉しているし、経済原理主義者であるとは思うが、この点だけはどうしても納得がいかない。自分にとって、農業の仕事は、趣味であり、仕事であり、そして、自己実現であり、社会貢献である。したいこと、しなければならないことが山ほどあり、その中で成したいこと、成さねばならぬことが山ほどある。そこに休みは必要なのであろうか?いや、休みが必要という考えが、そもそも適切なのであろうか?少し話がずれるが、欧米の社会エリートは、本当に休みなく働いていると聞く。自分は、ある意味、社会の最底辺の一次産業の一生産者に過ぎないので、重ね合わせるのは間違っているだろうが、仕事に自身の成功と社会への貢献を重ね合わせられたとき、自然とそのような判断と結果になってくるのではないだろうか?

更に話がずれるようであるが、関連した話として、仕事における休みの有無と知的生産性は、全く関連せず、知的生産性は、休みが無くても落ちるものではないと思う。いや、むしろ、知的生産性ほど、時間と肉体的労力の制約を受けないものはなく、逆に、これまでの経験上、追い込まれた時ほど、良い閃きやアイデアが生まれるものである。仕事における知的生産性を維持するための休みは必要で無い、という意味でも、休みは必要とならない、という点も付け加えておく。

以上の話を纏めると、一般的な農業者の価値観においても、自分個人の価値観においても、農業の仕事で休みが必要という考えは、そもそも当てはまらない。だから、休みが取れないことが悪いのかどうかの判断はできない、というのが相応しい答えであると思う。そしてそのような世間一般と別の価値基準が、理解され、尊重されることがあっても良いと思う。
ひとまず自身においては、ただ自然が回り動くように、自分も動き続け、前へ進もう。
自社と地域と日本全体の農業の為に。