野菜の味を決めるもの

野菜の味は何で決まるのか、色々な意見があると思うが、自分もそこに一意見を加えたいと思う。当園の経営理念「食卓に 香り豊かな感動を 味わい深い歓びを」を掲げているように、作るものの味は、当園において、最も重要視されるべきものであり、日々全ての生産活動における最も根本的な拠りどころ・判断基準となるべきところである。なので、野菜の味を構成するものについて、どのように考え、どのように栽培に繋げているか、説明責任があるように思う。また、その説明の内容は、まるで思い付きのように要素を羅列するのではなく、論理的に体系的に構築された一つの価値基準の体系として、示されるべきと思う。

まず本論に入る前に、自身が味を語る資格について、少し話をしたいと思う。味を語る資格が無ければ、ここでの話は全て無意味なものとなってしまうからである。
その資格の根拠なのであるが、日々現在の仕事において、味を見極め、研鑽を積んでいるからだけではない。この仕事を始めるまでも、ずっと味に対するこだわりを持ち続けてきた。少年期から美味しいものが好きで、自分で試行錯誤をしながら、料理やお菓子作りに励んできた。特にティラミスは得意中の得意で、これまでに作った回数は軽く3桁に上っていて、自分の基準ではあるが、見つければ必ず買い求めてきた他と比べても、人生で一番美味しいティラミスが作れると思っている。また、学生時代にワインの道に足を踏み入れ、買い求めて飲んだ、Chateau Pichon Longueville Comtesse de Lalande 1989 は、今に至るまで、人生で一番美味しいワインであった。口に入れるとまるで液体を飲んでいるのではなく、香りだけを口に含んでいるようで、むしろ全身が香りに覆われているようであった。また、ビロードに触れているかのような滑らかな飲み口、芳醇で複雑に刻々と変わる香りは、圧巻であった。人生5本目に開けたワインがそうであったのだから、よりワインと食への興味が強まったのは、もちろん言う間でもない。そして社会人になってからは、それなりに食べ歩いたと思う。無茶苦茶たくさん行ったというわけではないが、それでも、いわゆる星付きのお店を含めて、色々なお店を訪れ、食の経験を積めたと思う。
そして、それらなどの経験を通して、もし味覚に、絶対音感のように、絶対感覚があるとするならば、自分は絶対味覚を持つことができたのではないかと思う。美味しいものから、そうでないものまで、その時々の状況に左右されず、1つの確かな尺度の上で、正確に味を測ることができているのではないかと思う。

前置きが長くなったが、味について語らせて頂けるとして、自分は、野菜の味を決める要因は、3つの基本要因と2つの付加要因からなると思う。3つの基本要因とは、品種、施肥、生育。2つの付加要因とは、鮮度、旬である。

そしてまた話が逸れるようであるが、それぞれについて詳しく説明する前に、なぜこのような切り分け方をしたのか、の説明が必要に思う。そうしないと、これら5つの要因が、味の決定要因として必要十分を満たしているのか否か、分からないからである。また、それらを体系的に統一させて、味との関連性の説明も必要であろう。

まず、切り分け方の説明になるが、基本要因の3つは、工業の世界で使われる「品質」の概念を、同じように農業に当てはめ、考えられる要因である。工業の世界の「品質」の概念は、モノそのものの”質”を確かに正しく捉えており、農業の世界においても、”質”の根本を捉えるのに、非常に有用である。付加要因の2つは、工業の世界の「品質」の概念を当てはめて考えられない部分、それは農業の世界が工業の世界と異なり、時間に関して品質が変動するからであるが、そこから考えられる要因である。

話を進め、工業の世界で使われる「品質」の概念から考えられる基本要因の3つについて話をしようと思うのだが、まずその前に、工業の世界で「品質」は、「設計品質」と「製造品質」に分かれるとされている。そもそも設計でどの程度の品質を達成しようとしているのかが「設計品質」であり、そしてその設計に対してどこまで製造で実現できるのかが「製造品質」である。自動車業界でたとえて言うと、設計品質は、高級車の設計か大衆車の設計か、の差によって測れる品質であり、製造品質とは、高級車の設計であっても、その設計通りにどこまで作れているか、で測れる品質のことである。そこで、農業における要因を、「設計品質」と「製造品質」それぞれに分けて考えてみたい。
「設計品質」に該当し、考えられる基本要因は、「品種」しかないだろう。生産前から野菜そのものが持ち合わせている資質はそれしかない。なお、品種とは、血筋あるいは血統として言い表されることもできるかもしれない。
「製造品質」に該当し、考えられる基本要因は、「施肥」の内容と状況、「生育」の良さ、この2つでほぼ決まっていると、これまでの経験から感じている。栽培中に品質に影響を与える、天気その他の要因も、もちろん無い訳ではないのだが、先程2つと比べると、それほどの影響があるようには思わないのである。
以上の「品種」「施肥」「生育」の3つが、工業の品質の概念を当てはめて考えられる、野菜の味の品質を決める基本要因であるように思う。そして、これらはあくまでも味という「品質」のベースで、基本であるように思う。

次に、付加要因の2つは、工業の品質の概念を当てはめられない、産業として農業が工業と異なり、時間に関して品質が変動するという部分、から説明される要因であるが、時間の関わり方は、消費者まで渡るのに時間がかかることと、一年のどのタイミングで作っているのか、という2つの時間の関わり方がある。
消費者まで渡るのに時間がかかることは、まさに「鮮度」そのものである。工業製品でも製造後の品質劣化が無い訳ではないだろうが、生鮮品である農作物はクリティカルで、工業の品質の概念だけでカバーしきれていない。そこで、設計品質と製造品質以外に、「流通品質」とでも言うべき品質の概念を、付け足して考えるのが相応しいだろう。但し、注意しなければならないのは、「鮮度」自体は、生産される品質自体を決める要因ではなく、生産終了後からの品質の劣化あるいは保持を規定しているに過ぎない、という点である。だから自分は、「鮮度」は、基本要因ではなく、付加要因であると思う。
一年のどのタイミングで作るのかは、「旬」と言う言葉で言い表されるだろう。基本要因を同じにして作っても、作る時季によって、野菜の味は大分異なる。甘さ、風味、肉質など、ときに別物と思えるほど変わってくる。これは、農業が工業に比べ、品質に影響を与える、気温を中心とした生産条件の季節変動が大きいからであり、これも工業の品質の概念ではカバーしきれていないところである。そして、「旬」についても、自分は、基本要因になるとは考えていない。詳しくは後述するが、基本要因が揃っていれば、旬に関わらず、十分に美味しく、旬については、そこからの変動であるとしか思えないからである。

また長くなったが、論理的に体系的に纏めると、以上の5つが、味を決める要因になると思う。工業の品質の概念を当てはめて導き出される3つの基本要因、「品種」「施肥」「生育」、工業の品質の概念を当てはめられないところから導き出される2つの付加要因、「鮮度」「旬」、である。

そしてここまで話をして、やっとのようであるが、ここからようやく、これら5つの要因について、具体的に詳しく話をしていきたいと思う。

1つ目の「品種」についてであるが、味のほとんどを決めているのは、品種であると思う。果物が品種で味が全然違うように、野菜においても、品種で全然味が違うものである。ここは一般にあまりよく知られていないところである。1つの野菜で、見た目の区別がつきにくくても、数十~数百の品種があり、そしてそれらにはそれぞれ特徴がある。その中で、一般に市場に流通し、スーパーの店頭に並んでいる野菜の品種は、味を特徴とするのではなく、作り易さ、収量の良さ、輸送性の良さ、棚持ちの良さ、姿形の良さ、を特徴とし、味に特徴が無いことがほぼ全てと言って間違いないだろう。味にそんなに差が無いと思われる小松菜でさえも、山ほど品種があり、一般に流通している品種は、市場性は高いものの、味が良くないものがほとんどである。だから、ほとんど笑い話にしかならないが、小松菜を作っている農家が、出荷用には作り易い品種を作って、自家消費用には、味の良い品種をわざわざ作っていたりなんかもする。この話に限らず、逆に言うと、味を特徴とする品種は、本当に美味しく、ただ、作られることは少なく、一般に流通することも少ないのである。これは残念なことであるが、社会的にはそれが正解なのだろう。

2つ目の「施肥」についてであるが、肥料の種類と量によって、味は大きく変わってくる。まず種類について、使う肥料の種類は、野菜に味濃く反映される。化学肥料を使った場合、良く言うとクセが無く、悪く言うと無味無臭の仕上がりになる。一方、有機肥料を使うと、材料それぞれ特有の味が出る。植物系の材料を使った場合、まるで樹液や白ワインを思わせる青々しい香りとやさしい甘みが乗り、動物系の材料を使った場合、味噌や醤油のような出汁を思わせる旨味とコクのある甘味が乗る。また有機肥料は、作物によって、味がとても良くなる相性の良い肥料があり、それは昔からの言い伝えの通りであったりする。味の好みは人それぞれと思うが、自分は、有機肥料を使って作られた野菜の方が断然美味しいと思う。あと、肥料の量についてであるが、多過ぎても少な過ぎても味が悪くなり、適正でないと良い味にならない。多いとエグミ、アクが出易く、よく知られるところでは、肥料を吸い過ぎたほうれん草がそうである。一方、こちらはほとんど知られていないが、肥料が足らないと、味と香りに欠け、特有の渋のようなエグミを感じさせる。このようなエグミを感じる野菜は、自然栽培の野菜に散見される。また、肥料が足らないという点で話をすると、肥料が切れてくると、味が薄くなる。これは自身の栽培においても、夏のトマトやきゅうりなどでは、収穫の最後に肥料を使い切る様にしているので、収穫の最後で出したものは、お客様から甘くなくなったね、とご意見を頂くことも実際にある。そのご意見は有難く頂戴するのであるが、それほどまでに、肥料が適正量効いていることは大事である。肥料の適正量については、以前、「奇跡のリンゴを食べてみた」というブログ記事に詳しく記載したことがあるので、そちらもご参照頂きたい。

3つ目の「生育」についてであるが、理想の生育をした野菜は、やはり味がしっかりとして、瑞々しく、硬くなく、逆に生育の悪いものは、味が薄く、水分に欠け、硬い。生育の悪化は、病気や虫、風や雨などでの傷み、追肥や管理の遅れなど、実に様々な理由で起きる。あと、前項の「施肥」と若干重なるところがあり、施肥量が崩れると、あっという間に生育が乱れ、病気や虫を呼び込み、さらに生育が悪化するという悪循環に落ち込む。やはり、美味しくできるものは、作物全体が見た目にも生き生きとして伸びが良く、丈夫でしっかりと大きく育っている。美味しさは溜め込んだ養分であるのだから、養分をしっかりと作れるような樹や葉を持ち、十分に栄養を作っている、生育が良い、というのは、味の良さには重要なところであろう。

4つ目の「鮮度」についてであるが、野菜の種類にもよるが、鮮度で決定的に味が違う野菜が多い。最も味の劣化が早いところでは、とうもろこし、エンドウ・枝豆などの未熟豆は、収穫してから半日が勝負で、なす・きゅうりなどの果菜類、菜花・ブロッコリー・アスパラガスなどの芽物は、収穫してから一日が勝負である。逆に鮮度があまり重要でない野菜、むしろ時間をおいて追熟させた方が良い野菜などもあるのだが、全体的には鮮度が良い方が良いものが多く、だから朝採りであることが重要な場合が多い。また、新鮮なものほど、水分が多く、瑞々しい食感になるので、美味しく感じられる。鮮度についても、以前、「アロマフルな話 ー 鮮度が重要な野菜、重要でない野菜」というブログ記事に纏めたことがあるので、より詳しくはそちらをご参照頂きたい。

5つ目の「旬」についてであるが、一年の「旬」のピークにある野菜は、特別に美味しいと思う。夏野菜の夏の時季のもの、トマトやきゅうりなどは、甘味も風味もいっぱいだし、冬野菜の冬の時季のもの、大根や人参や法蓮草にしても、甘味が全然違う。しかしながら、先程少し触れたように、基本要因の3つ「品種」「施肥」「生育」を満たした野菜は、旬を外していても、とても美味しいのである。確かに、甘味はそれほどでないかもしれない、風味も落ちるかもしれない。大根なんかは、夏近くなってくると、甘味などほとんど無く、激辛になる。それでも、美味しいものは淡泊なりに、あるいはその辛味の中に、味に美しさがある。味は、甘味や風味だけで、単純に評価できないものであると思う。それ以上の真理や美が存在するものと思う。だから、おそらく世間の大方の評価と違って、「旬」は野菜の味を決める付加的な要因であると思う。

以上、野菜の味を決める5つの要因についての考えになる。そして最後に、各要因が味を決める割合なのだが、6割が「品種」、2割が「施肥」、残り2割が「生育」と考えている。そこに「鮮度」による生産後の品質劣化があり、「旬」による変動がある。これが10数年これまで味にこだわり農業をやってきて得た、そしてその期間の大方変わっていない考えである。これからも、味を何よりも大事に、作物を育てていこう。同時に、味に対する考え方自体を鍛え上げて行こう。そしてまた、美と真理を追い求めて行こう。

アロマフルな話 ー 鮮度が重要な野菜、重要でない野菜

久々に野菜の味について書いてみたいと思う。最近は小難ししいことを書くことが多かったが、気軽に読めて、為になる農業の話。

野菜には、味の決め手のひとつである「鮮度」が、重要な野菜と重要でない野菜がある。つまり、鮮度によって味が落ちやすい野菜と落ちにくい野菜がある。これは一般には意外と知られていないことに思う。更に言うと、その差には適切な科学的な理由があり、簡単な理由で説明がつくことは、もっと知られていないと思う。今回は、そのような話をしたいと思う。

まず、どういう野菜が鮮度が落ちやすい野菜なのかと言う理由なのであるが、これは一言で言い表すことが出来て、細胞の呼吸速度が速い部分の野菜は鮮度が落ちやすい。科学的に考えれば当然のことである。呼吸速度が速い部分は、収穫して栄養供給源から断たれてしまったら、自己の細胞内に蓄えてある養分を急速に使い果たすしかない。そして、これは多くの場合、甘味の元になる糖分から消費される。そして、甘味やその他の味のしない野菜となってしまうのである。

また、呼吸速度が速い部分の野菜とは、言い換えると、成長が急激な部位の野菜と同義である。成長が急激な部位の野菜、という方が現実には分かり易い。そこで、まず、その成長が急激な部位の、鮮度が落ちやすい野菜について、列記してみたいと思う。

1)未熟果を穫る生り物(実をとる野菜のことを農家はこのように呼ぶことが多い)の野菜。ナスやキュウリなどがこれにあたる。これらは1日というより、朝と晩で姿形を大きく変えてしまう。トウモロコシやオクラも、成長スピードが速く、収穫適期はほんの一瞬しかない。これらの果菜は、穫り立ては、一般のスーパーに売られているものと違い、甘さに満ち溢れているものだ。一方、完熟果で穫るトマトは既に成長が落ち着いてしまっているからなのか、意外と鮮度で味が変わり難い。

2)芽や花など成長点にあたる野菜。アスパラガスや菜の花、ブロッコリーなどがこれにあたる。春のものが多いであろうか。これらもまだ気温の低い春にあって、一雨降った翌朝などには、畑の景色が昨日までと全く違っていることなどよくあることである。これらも穫り立ては、実に甘く、穫った日だから味わえる、極上の味である。

3)未熟豆を利用する豆類。野菜として扱われるほとんどの豆類がこれに当たる。枝豆、空豆、生落花生、エンドウなど。どれも全て、味のピークのタイミングがとても短く、収穫に、常に細心の注意が求められる。そして言うまでもなく、穫ったその日と翌日では、甘みが大きく違う。穫ったその日のものを食べて頂ければ、これまで食べていたものは一体何だったんだろうと思って頂けるはずである。

以上、鮮度が重要な野菜について纏めてみた。色々あるが、その中でも鮮度が最も重要なものは、トウモロコシ、エンドウ、次に枝豆であろうか。これらは、穫って半日でも、味が落ちると自分は思う。だから、食べる直前に穫るのが一番である。トウモロコシは、お湯を茹でてから畑に穫りに行け、と言われるそうだが、正にその通りであると思う。

では逆に、鮮度が重要でない野菜についても纏めてみたいと思う。それらはこれまでと逆の、成長がゆっくりな野菜が該当する。

1)葉物野菜全般。これらは成長が遅い訳ではないのではあるが、それでも前述の鮮度が重要な野菜と比べれば緩慢である。だから、収穫後結構時間が経っても意外と味が悪くなっていなかったりする。小松菜などは、逆に熟成したような味に変わり、それはそれで美味しいと思う。更に、結球する葉物野菜、キャベツ、白菜などは、成長により時間がかかっている為か、より一層、収穫後時間が経っても味の変化が小さい。なお、葉物野菜でも例外が無い訳ではなく、モロヘイヤなどが該当する。そしてそのような野菜に共通しているのは、収穫後、自身が熱を持つ。葉物野菜でも、呼吸速度が速いものもあるようである。

2)根菜全般。前記葉物野菜以上に、鮮度の影響を受けないのが根菜である。成長も、もっとゆっくりである。これらは、保存も効くし、常備菜として扱われる性格のものである。だから、大根などは、抜き立てで決して悪いことはないのではあるが、大根穫り立てです、と言われても正直何の意味もない。むしろ、大根の鮮度を訴える売り手がいたら、疑った方が良いかもしれない。

3)乾燥、追熟が必要な一部の野菜。乾燥が必要なものでは、玉ねぎ、にんにくなど。追熟が必要なものでは、じゃがいも、かぼちゃ、さつまいもなど。ここまで来ると、むしろ鮮度とは違う概念になってきてしまうが、収穫から時間が経っている方が良い野菜もある。玉ねぎは、収穫直後は辛みが多いが、乾燥・保管する中で、段々辛みが抜け、甘味がより感じられる。じゃがいもやかぼちゃは、悪くなる寸前まで追熟したものが味のピークで甘味が最も強い。だから、皺々になったじゃがいも、へたの周りが崩れ始めたかぼちゃは、とても価値がある。さつまいもは、掘り立ては、ほとんど甘くないので、だから大学芋にでもしないと食べられない。最低1か月は追熟で寝かせて、焼き芋用の品種だと2か月は寝かせてからでないと、その味の良さが出ることはない。

以上、鮮度が重要でない野菜についても纏めてみた。重要でない、と言っても、時間の経過で萎れていたりしたら、もちろん食味も悪くなるので、その意味では鮮度も重要なのだが、今回その点は考慮していない。保管状態が良かったときに、時間の経過と共に味が悪くなり難いもの、という意味で纏めてある。

今回の記事では、鮮度が重要な野菜と重要でない野菜について、纏めてみた。これらの区別は、意外と理解されていないことに思う。それでも、この記事を参考に、単純な原理原則に従って区別されることをご理解頂き、今後のお買い物に活用して頂ければ幸いです。

 

アロマフルな話ースナップエンドウ

絶対にスーパーで買わない野菜、同列1位。それがスナップエンドウ(あとは枝豆ととうもろこし)。一般に売られているものは、おそらくそのものの本当の価値の10分の1も満たしていない。それ位、全くの別物なのである。採りたての本当に美味しいものは、甘さ、瑞々しさ、シャキシャキ感が全く違う。今日は、その本当に美味しいスナップエンドウについて、その美味しさに必要なポイントを3つあげたいと思う。

1つ目は、まず何より新鮮であること。採った日とその次の日だと、味がまるで違う。一晩越しただけでも、甘みがガクンと減ってしまう。農業高校の野菜の教科書に、貯蔵温度20℃で2日で、収穫直後の食味が、商品性の下限~甘さがなくなり淡泊な味になる、とある。確かにその通りに思う。でも、一般に流通しているものであれば、どうしたってそのようにならざるを得ない。「スナップエンドウって美味しいものだったんだ」という感想を頂くこともあるのだが、それも無理ないことに思う。本当に新鮮で美味しいスナップエンドウを食べるのは、収穫当日のものを手に入れることができる環境にでも無い限り、実現不可能なことなのである。或いは、同じく教科書によると、収穫後すみやかに0℃に冷やすと、2日ほどは、収穫直後の状態が保てるとある。産地直送の野菜であっても、そこまでされているだろうか。まさに、農家にのみ許された味、といっても過言ではないのかもしれない。

2つ目は、収穫のタイミングが適切であること。どう適切であるのかと言うと、実がパンパンに膨らんで、丸々と太った状態のタイミングで収穫されていること。これが、ほんの少し手前の、もう少し薄い状態で採ってしまうと、まるで味が違く、甘みがあまり無かったりする。一般に売られているスナップエンドウで、このような状態で並んでいるものは、ほとんど目にしないのであるが、なぜだろうか。樹が疲れて、収量が落ちるからなのであろうか。とにかく、市販されているスナップエンドウは薄過ぎる。これでは、料理の彩りにしかならないではないか、とさえ思うのである。口に入れた瞬間、口の中いっぱいに弾けて溢れ出す、あの甘さと瑞々しさと実に歯切れの良い食感を楽しむ為には、この太り具合がとても重要なのである。

3つ目は、収穫時期の終わりの方であること。これは個人的に非常に不思議に思うところなのであるが、収穫のピークが過ぎ、樹が弱り黄色くなってきたくらいの方が味が上がる。他の作物では全くそんなことは無く、樹が弱って黄色くなったりしたら、もう無味乾燥なものしか出来ないのに、このスナップエンドウだけは、逆に味が上がるのである。スナップエンドウの終わりの時季は、シーズン初めに比べ気温が大分上がっているから、その影響なのだろうか。いずれにしても、スナップエンドウは、名残が実に良い。

スナップエンドウについて知るところを纏めてみた。もし、美食が大罪であるならば、採りたての、良いタイミングで収穫されたスナップエンドウは、間違いなく罪である。そして、自分はその罪を作り続けている重罪人でしかない。そうでなくても、お客様にこんなに美味しく、他で手に入れることができないものをご提供してしまう自分は、大変罪深いなあと思っているのに。それでもなお、お客様には、採れたてで最高の状態のスナップエンドウをぜひお試し頂ければ、と思います。

アロマフルな話 – 野菜が一番美味しい時

今回は、個別の野菜の話ではなく、野菜全てに共通する話。
野菜は何時食べるのが一番美味しいのか、そのことについて今現在自分の知っている限りのことをお話ししようと思う。

安易に答えれば、そりゃ旬でしょ!ということになるのだが、それはそれで間違いないこととして、論理的に体系化して、時間軸で長期的・中期的・短期的で分けて考えてみる。

まず長期的な観点から考えると、それはもちろん野菜の”旬”であることに間違いない。やっぱり、冬場のトマトやきゅうりよりも、夏のトマトやきゅうりの方が、味も香りも断然違う。ネギだって、冬の方が甘くて美味しいし、大根なんかも全く違う。今の世の中、年中同じ野菜がスーパーの棚に並ぶようになり、旬がいつなのか分からなくなってきたが(実際、農業を始めて旬を初めて知った野菜も多い)、やっぱり各野菜が本来育つべき時季に育てられた野菜は、味が違うものである。

ただし、旬という言葉には注意を要する。旬と言うのは各地域での旬を表す言葉であり、日本全国バラバラなのだ。本州ではじゃがいもは春・晩秋、玉ねぎは春であるが、北海道では秋である。キャベツは平地では冬または春であるが、高地では夏である。南北に長く、また高いところ低いところあり、気候の変化に富む日本にあって、野菜の取れる時期は結構ずれていたりする。だからこそ逆にスーパーに年中同じ野菜が並べられるようなことにもなるのだが、そこは当地の旬が云々ということは抜きにして、日本という国が持っている多様な気候・風土の素晴らしさに、素直に感謝すれば良いのだろう。(ヨーロッパの国々が、冬季、南欧や北アフリカ諸国から大量の野菜を輸入していることと実に対照的である。)

次に中期的な観点から考えると、収穫適期に採られている野菜である、ということである。ここが生産・流通の都合で、消費者にとって最適ではないことになっていることが多い。例えば、枝豆はちょっと物足らないくらいの、7割くらいの実の入りの時が一番味が良いのではあるが、農家にとっては量で手取りが決まるため、パンパンになるまで収穫したりはしない。他にも、トマトは樹上で完熟させたものが、圧倒的に味も香りも良いのではあるが、割れたり焼けたり、カラスにやられたりするので、まだ青いうちに収穫し、取っておいて赤くなり始めたら出荷する。また、トマトは流通側にとっても、熟したものは輸送性・棚持ちが悪いので、固いものでないと駄目なのだ。ちなみに農家の出荷時に赤くなり始めのトマトは、店頭に並ぶときにちょうど全体が赤くなる。我々は普段そのようなものを見ている。

最後に、短期的な観点から考えると、朝採ったものではなく、昼~夕方に採ったものであること。食べる直前に採った方が新鮮だということもあるのではあるが、どうも朝採りの野菜は美味しくないことが多い。一般には、朝露が宝石のように光り輝いている野菜がとても新鮮で美味しい野菜のようにイメージしてしまうのだが、朝は野菜が夜の間に養分を呼吸や成長のために使い果たした時間である。実際、朝のきゅうりやおくらは甘さが足らない。そうであれば、お日様の光をたっぷりと浴びて、養分をいっぱい溜め込んだ夕方の方が良いのではないかと思う。美味しい野菜は朝採りではなく、夕採りである。

朝採りが美味しいというイメージについてなのであるが、そのイメージが広く世間に浸透していることに、正直、閉口している。なぜなら、それは小売や物流(さらにいうと消費者)の都合で作られたイメージに他ならないと思っているからだ。小売や物流が動くのは日中である。だから農家の収穫は朝になる。また、消費者に一番早く届けるための収穫のタイミングも同様に朝となる。だから朝なのだ。野菜の状態など関係無しに、現在のシステムで朝が収穫に一番適したタイミングなのだ。いつかこのイメージが覆る日がくればと思っている。

短期的な観点ではもう1点あって、上記と同じ理屈で、野菜の味は直前の天気に大きく左右される。理想はある程度の雨が少し前にあり、良い天気が数日続いたくらいが、野菜の仕上がりにとっては最高だ。そのような時が味も香りも一番乗っている。逆に言うと、雨が続くと水ぶくれしたようになり、曇りが続くと、味わいに欠ける仕上がりとなる。この点については致し方ないのではあるが。ただ、理屈と実際と言えばそうである。

野菜が一番美味しい時について、知っていることを纏めてみた。本当にピークのピークに当たった野菜を食べた人にとっては、他の時の野菜が凡庸に見えてしまうかもしれない。しかしながら、野菜には走りと旬と名残があり、日々の天気によって変わりもする。それはそれで楽しむことができるようになれば、素晴らしいと思う。もちろん、どのような状態の時でも素直に美味しいと思える野菜であることは、自分が野菜を売る中で絶対条件である。その上で、美味しい野菜と一番美味しい時の野菜を楽しんで頂けたら、幸いだと思う。

アロマフルな話 – とうもろこし

今回は、もう名残になってしまったけれど、とうもろこしについて。
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とうもろこしも自分が農業を始めて、その概念が大きく変わった野菜の1つでした。正直、これまでそんなに有難い野菜と思ったことありませんでした。そもそも、それほど買ったことも食べたこともなく、お祭りで焼きとうもろこしが随分高い値段で売られている、それくらいだけのイメージしかありませんでした。しかしそれが、今ではこんなに感動を与えてくれる野菜なのだから、全く人生何が起こるか分からないものだと思います。

さて、こんなに印象が変わったとうもろこしですが、その理由は、これまで新鮮なとうろこしにありつく事が出来なかったから、というしごく単純、しかし実現がかなり難しい、ということに尽きると思います。とうもろこしは、数ある野菜の中で、間違いなく最も鮮度が落ちるのが早い野菜。採り立てとそうでないものでは味が全く違う。とうもろこしを本当に美味しく食べられるのは、採って半日まででしょう。

採り立てのとうもろこしがどう違うのかというと、甘さが数段違い、そして口の中で文字通り弾けるほどのみずみずしさに満ち溢れている。野菜と言うよりほとんど果物で、さらに言うとハチミツのようで。当園では、採りたては、まずは生でそのままかじるのをお勧めしています。生でとうもろこしを食べれると聞いて、大抵のお客様は驚かれるのですが、折角の採り立てなので、また、わざわざ茹でるのも手間なので、生で召し上がられるのをお勧めしています。もちろん、火を通して食べても美味しく、甘さにコクが増し、より一層甘く感じられます。お勧めの調理方法は、蒸しで、なべ底に少し水を張り、蓋をして沸騰している状態の中で3分が良いと思います。蒸し終わったら、流水で粗熱を取ると、実の潰れを避けることができるので、おススメです。

以前、テレビで朝採れとうもろこしの方が昼や夕方に採ったとうもろこしより甘くて美味しいという内容を見たことがあるのですが、それは間違いではないかと思ています。その番組ではその理由を、昼間気温が上がると、とうもろこしの樹が呼吸でエネルギーを消費するのに実に溜まっている糖分を消費してしまうから、朝、糖分が溜まっている状態のとうもろこしの方が甘い、としていました。しかし、実際、過去に自分で糖度を測定したところ、同じ実で、朝一より昼の方が糖度が高い結果でした。また、朝というのは、夜の間にエネルギーを消耗しつくした時間であるはずであり、一番味が落ちている時間ではないかと思います。(実際、他の多くの野菜で朝一は味が落ちる。)最後に、多くの消費者は買い物をした日の夕食でとうもろこしを調理、食べることになると思いますが、鮮度で一分一秒を争うとうもろこしで、夕食までずっと時間が開く朝に採って良い訳がないのではないでしょうか。きっと、テレビで検証していたのは、朝採ったとうもろこしと、前日の昼や夕方に採ったとうもろこしを比べていたのはないでしょうか。そうとしたら、直近に採った朝採りとうもろこしの方が味がよくなるのは当然の結果でしょう。通常、農家は出荷が朝一なので、朝取りと前日昼・夕方採りを比べるのは、決して間違っているわけではないのですが・・。

そんなこんなで、とうもろこしは鮮度が何よりも大事なので、当園では、本当に納品直前に収穫しています。採り立て数時間のとうもろこしは、現代の流通システムでは絶対に手に入らない、大変貴重なものと思います。農家のみに許された、本当に美味しいとうもろこしを、機会がありましたらぜひお試し下さい。

アロマフルな話 – 枝豆

アロマフルな話、2回目は旬に入ったばかりの枝豆です。

<当園看板商品の1つの枝豆>
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枝豆には何かちょっと特別な思い入れがある、そのような人は多いのではないかと思う。きっと、暑い夏に飲む、とても良く冷えたビールを連想させ、それに必ずお供として付くものと思わせるからなのかもしれない。

確かに、自分自身もサラリーマン時代から枝豆にはちょっとした思い入れがあった。飲み屋に行けば、この時季、まず注文する。そして、大概、どこの店も茶豆やらなんたらかんたらと特徴を書き立ててあり、だからこそ余計に、この枝豆は美味い/不味いなど、一丁前に批評を下し、ビールを飲み下すのである。それで、美味しい枝豆に当たったときは、幸せな気分になるし、この店はなかなかやるなと、勝手に自分の中でお店の評価まで上げてしまうのだから。

さて、それでこの枝豆という野菜が、自分が実際に農業を始めてから、その概念が大きく変わった野菜の1つでした。
その理由は、品種と新鮮さで味が全く違うから。香りと甘さが全く違います。誤解を恐れずに言えば、この枝豆を食べれる人は幸せだ、とさえ思ってしまうくらい。逆に言うと、自分は大変罪なことをしている気になってしまう。

枝豆の味について、当園が使っている品種は、緑豆ではありますが、茶豆風味の良い香り、甘味の強い良い品種を使っています。また、甘味が一番のる時期は、実がパンパンに張っているよりも7割くらいの実の入りの時で、やや物足らない感じがするくらいの頃が一番良いです。このタイミングで収穫すると、枝豆の良い香りが辺り一帯に漂います。一般に出回っている枝豆は、一番良い時期を明らかに過ぎていることが多いです。量で農家の手取りが決まるので、致し方ないことと思います。

鮮度についてですが、枝豆は鮮度が大変落ち易く(採って半日~1日が勝負)、そのため納品直前に採るようにしています。また、手間を嫌がるお客様もいらっしゃいますが、敢えて枝付きで販売しています。枝豆は、枝から外すとさらに急激に鮮度が落ちてしまうからです。そうでなくても、収穫後、発熱していることもあります。お湯を沸かしている間に、枝から外してください。あと、当日にお召し上がらない場合でも、必ずご購入された日に火を通してください。

枝豆を美味しく食べるためには、茹で方もポイントを押さえる必要があります。以下、これまでの当園の経験から一番良いと思う枝豆の茹で方です。

①お湯を沸かす。1束に対して、水1L、塩40gで。この塩加減が甘さを一番引き出すのだそうです。
②枝豆は直前に枝から外し、塩(分量外)も使って軽くもみ洗いする。
③茹で時間は投入から5分きっかり。ぶくぶくと煮立つのは最後の1分くらいですが、十分火が通ります。その頃には、台所に枝豆の良い香りが充満することでしょう。
④ざるに上げたら、うちわで扇ぐ等で、手早く冷ましましょう。熱いのをそのままにしていると、風味が飛んでしまいます。またこのときに、塩をお好み量振りかけて。お湯を沸かすときに塩を大量に使っていますが、豆には塩味はあまりついていません。
⑤温かいうちも悪くは無いですが、しっかり冷ました方が、味は断然美味しくなります。塩味も浸みてきて、ちょうどいい具合です。

茹で方にもこだわって、ぜひ当園自慢の枝豆をご賞味下さい。

アロマフルな話 – きゅうり

時には、野菜の色々な話をしていきたいと思う。
普通には知られていない、でも面白い、おいしい話。当園自慢の野菜の話。
アロマフルな話、1回目は旬を迎えている「きゅうり」です。

当園自慢のきゅうり
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きゅうりはとにかく、鮮度がものを言う野菜。
野菜で鮮度は大事 ― そんなことは当たり前と思われるかもしれませんが、採ったばかりの新鮮なきゅうりを食べられたら、その意味を改めてお分かり頂けると思います。

採り立てのきゅうりはとにかく甘く、みずみずしい。これは普通に出回っているものとは全く違う点、経験できない点ですね。逆に、時間が経ったものは、甘さが抜けていて、どちらかと言うと、アクっぽい苦さが感じられるようになります。

また、当園のものは特に夏の始めのきゅうりは昔の品種を使っており、きゅうりらしい、しっかりとした香りが特徴です。このきゅうりを日頃食べている自分としては、全く他のきゅうりを食べる気になれなくなってしまいます。

他に当園のきゅうりの特徴としては、地這い栽培で作っており、陽の光が当たらない地面側は、黄色くなっています。一部色が薄いのは異常ではありません。自然の醸し出したグラデーションをお楽しみください。また、曲がりが強いのもその様になってしまいます。

曲がりの話がでたので、時々曲がっているきゅうりの方が美味しいと思われることもあるようですが、半分は正解です。基本的に同じ品種であれば、曲がっていても味は変わりません。但し、明らかに変な曲がり方をしているものは、生育に異常があった印で、その場合は、味も変なように感じられます。あと、最近のまるで食べ物でないかのような真っ直ぐな品種は、食味がよくないこともあるかもしれません。

あと、きゅうりの大きさについてですが、きゅうりはものすごい速さで大きくなるので、朝と晩では大きさが違い、1日採り逃すとヘチマになってしまいます。専業の農家さんでは、朝昼晩の1日3回、収穫されているところもあるようです。当園では、1日1回の収穫のため、大きさにばらつきが出てしまいますが、大きいのも小さいのも美味しくお召し上がり頂けます。

大きいものはどちらかというと酸味が出てきて、場合によっては皮が固めになることがあります。きゅうりではなく、瓜に近くなるわけですね。炒め物やスープにするととても美味です。我が家ではもっぱら中華風の味付けで使います。もちろん、生でサラダに使っても、採れたてであれば、全く問題ないと思います。一方、小さいものは、よりやわらかく、甘さが強いと思います。漬け物などにはより向いているのかもしれません。

あまり一般にはしられていないきゅうりの話でした。
とにかく、新鮮で美味なきゅうりをぜひ一度はお試しください。