まだまだかかる食料自給率の話題、3回目。
今回は、なぜそんなにも食料自給率が”低く”なったのか、その原因について考えてみたい。
結論から言うと、食生活の洋風化、という一般に言われることでしかないと思うのだが、これがよく考えてみると、将来の日本の農業のあるべき姿までを映し出すようで、非常に興味深い。
さて、まずは、どのように食料自給率が低くなったのか、また”因数分解”の思考方法を用いて考えてみよう。以下は、食品別の食料自給率の推移表である。
おおまかに言うと、だんだん空白(と黄色)の部分が増え、食料自給率が下がってきているのが一見しただけで分かる。しかし、である。なぜ空白の部分が増えたのかというと、食料自給率がほぼ100%の米の全体に占める割合が減ってきて、代わりに食料自給率の低い油脂と畜産物の割合が増えたからなのだ。これが食の洋風化の現実である。食料自給率に深く考えるまでは、自分はてっきり、日本人は米を食べるのを止めてパンなど小麦を食べるようになったものとばっかり思っていたが、実はそうではなく、米の変わりに油と肉を食べるようになってきているのだ。ちなみに、昭和40年当時の小麦の消費量は国民1人あたり29.0kgであったものが、平成21年は31.8kgである。実はそれほど大きく増えていない。
この、油と肉が米に置き換わったという事実は、人生の過半を平成に過ごしたものとしては、やや衝撃である。逆に考えてみよう、今の生活で、油と肉を米に置き換えてくださいと言われて、あなたは耐えられるでしょうか?自分ならほぼ無理である。揚げ物と肉を取り上げられて、米を増やされたって、おしんこでご飯を食べる生活はちょっと考えられないのである。年配の方であっても、毎日食卓に並ぶようになった、肉や揚げ物を取られて、米の炊く量を増やされたって、きっと今では困惑するのではないだろうか。
そう、日本は豊かになったのである。肉と油をこれだけ消費できるようになったのである。これが食の洋風化の実際である。それで結果として食料自給率が下がることになったのだ。これは完全に食料自給率の低下の原因は、消費サイドにあると言ってもいいだろう。家畜のえさとなる飼料、油脂の原料となる作物を日本でコスト競争力を十分に持って作ることは現実的でない。敢えて生産サイドの視点から言うならば、日本の農業は食生活の変化に構造的に対応していないだけ、ということになるのだろうが、日本の農業の現場が弱体化しているか否かは全く関係が無い。食のスタイルの変化が、”低い”食料自給率の原因である。
ここで、一応結論まで繋げることはできたのだが、さらに仮に低い食料自給率が問題だとして、その対策はどうあるべきなのだろうか。
生産サイド向けには、現在、麦・大豆・飼料米などに現在多額の補助金を出している。これは愚の骨頂だ。市場原理で生き残れないものに直接の現金の支払いで支えるならば、市場原理で生き残れるように構造を改革をすべきなのだ、もしくは、止めるべきだ。
また、消費サイド向けには、現在、国産品の消費拡大に向けたさまざまな施策がされているようだが、的外れ以外の何ものでもない。なぜなら、上記で述べたような、人間の自然な欲求・感情に反しているからだ。あるべき姿を問い、草の根運動のような地道な活動の意義や効果を否定するわけではないが、その為に貴重な税金と時間を費やすのならば、人間の自然な欲求に従ってでも国産品の消費拡大が起きるような構造改革を行うべきなのだ。例えば、米農家がもっと集約されており、低コストで美味しい米が生産されていれば、ここまで米の消費量が落ちることはなかっただろう。減反政策がなければ、農家は単収を追い求めることはせずに、消費者に喜ばれる、味や製法などへの取り組みがもっと活発になっていたであろう。
この辺までくると、日本の農業のあるべき姿がだんだん見えてくる。過剰な規制や補助金、不自然な運動活動に頼るのではなく、勝てる農業、強い農業を追い求めるべきなのではないだろうか。食料自給率の問題はそんなところまで映し出してくれる。
次回は、食料自給率最終回、国際比較から分かることについて纏めてみたいと思う。